【トップ座談会】創業者の偉大なるレガシー

時を超えて息づく“創立精神”は
さらなる飛躍への道に続いていく

写真:トップ座談会

── 創業者・荒川守正氏の稀有なる熱意と存在感

土肥社長(以下土肥)

私は途中入社組ですが、ナード研究所にお世話になろうと決めた一番の動機は、面接で当時会長であった創業者の荒川守正氏と話をして、「自分がどうありたいか」ということを受け止めてくれる会社だと確信したことでした。会社の理念や業務に取り組む姿勢などについてお話しくださったと同時に「あなたはどうしたいのか」ということをじっくり聞いていただけた。非常におこがましい言い方になりますが、この人だったら信用できると思えたんですね。

川崎社長(以下川崎)

私は前の会社でプラスチックの成型加工技術の研究開発部門で仕事をしていましたが、やはり有機合成をやっていきたいと強く思って、転職を決意しました。面接でお話ししたのは三代目の南社長でしたが、面白そうな会社だと思ったこと、設備的にも大学の実験室に遜色ないものが揃っていて、ここでならやりたいことができると期待を持ちました。その後、入社までの間に、創業者と会食する機会を設けてもらいましたが、やはりよく話を聞いてくださる、加えてよくしゃべる人だなあというのが第一印象でしたね(笑)。

荒川相談役(以下荒川)

確かに息子の私から見ても、エネルギーにあふれた人でした。ナード研究所は、もともと創業者が研究者兼役員として所属していた会社から独立し、研究開発を専業とするビジネスをと立ち上げたのが始まりです。その研究開発の手法と方向性に共感した社員十数名が退社して創業メンバーとして参加してくださったわけですが、「この人と一緒にやっていきたい」と思わせるカリスマ性があったのでしょうね。

土肥

50年前といえば、合成化学の黎明期。「技術を形にして世の中へ問うていきたいという思いで始めた」とおっしゃっていたことを覚えています。なにせ技術開発の中枢にかかわる部分を外部で担うわけですから、今でもゼロからのおつきあいからパートナーとして完全に信頼を得るまで5年、10年とかかります。ましてや、まだ研究そのものがビジネスになると考えられていなかった時代に、まずナード研究所の立ち位置と依頼するメリットを理解してもらうことから始めなければならなかった苦労は、並大抵のものでなかったでしょう。

荒川

父の部屋には、創業時からの資料や書類が相当な量まだ残っています。その中に、創業間もない頃の会議の記録もありました。印象的だったのは、これから会社をどうしていきたいかということをテーマに全員が書いたレポートで、それぞれの希望や思いを表明しつつ、最終的にはみな「社長の意向に従います」という意味合いの言葉で締めていたこと。それぞれが技術者として高い志を持ちながらも、創業者の舵取りに絶対的な信頼を寄せていたんだなと感じました。

写真:今なお新鮮に心に響く「創立精神」

── 今なお新鮮に心に響く「創立精神」

土肥

おそらくその前のごく初期の段階に、創業メンバー全員で話し合って生まれたのが「創立精神」ですね。当時のメンバーが出した言葉を集めて、話し合いながら文章にしていったそうですね。

川崎

こんな言い方はおかしいかもしれませんが、私はこの創立精神が大好きなんです。50年前にできたものとは思えないくらい的確で、ひとつひとつの言葉に共感できます。ナード研究所の社員として、また技術者として、目指すべきあり方がすべてここに詰まっているのではないでしょうか。

荒川

当初は多くの困難に直面し紆余曲折もあったようですが、社員それぞれが得意の領域で「何か」を達成したいという強い思いを支えてきた精神ともいえますね。

川崎

当社のあり方を決定づける特徴に、技術者全員が営業も兼ねるということが挙げられますが、確かにひたむきに技術を追求するだけではなく、それを受け渡しするコミュニケーション能力がないと、会社としての継続は難しかったでしょう。お客さまはもちろん共同研究や社内での交流においても、領域や専門性を超えて交流することで、自分にはないリソースを得て問題解決につなげていこうという原点が、ここにあります。

土肥

加えて、活動を通じて最終的には社会に貢献するという精神がうたわれているからこそ、共通の認識としてブレることなく成果につなげてこられたのではないでしょうか。

写真:トップ座談会

── 「やればできる」「あきらめない」身をもって教えられたこと

川崎

私が入社したのはすでに社業が軌道に乗り、創業メンバーをグループリーダーとして社員も増えてきた時代でした。「何をやってもいい」という自由な雰囲気に満ちあふれていて、本当にみなさんやりたいことをやりたいようにやっておられた(笑)。有機合成に限らず、無機や高分子などさまざまな分野で個々に特徴を持ち自分のビジネスを展開されているのを目の当たりにして、凄いなと息を呑んだのを覚えています。一方で、本当に自分にもこんなことができるのか不安も覚えました(笑)。

荒川

当社の社風は創業者のキャラクターに負うところも大きかったのかなと思います。とにかくどこにでも出かけて誰とでも会い、しゃべり倒す(笑)。あのフットワークの軽さとコミュニケーションスキルは、なかなか真似できるものではありませんが。

土肥

桁違いに豪快でした。お客さまのところで何を相談されても、まず断らないで「できます、やります」と自信満々に答える。我々もそれに引っ張られてきた面は大きいですね。無理難題を突きつけられて「それ受けるのやめてくれへんかな」と思うことも何度かありましたが(笑)。

川崎

今でも忘れられないのは、私が入社後すぐに担当した合成の仕事が、どうしてもできなかった時のこと。思いつく限りの方法をやり尽くし、ついにギブアップしてしまいました。日報を見た創業者にすぐに呼び出されて「どれだけのことをやったのか話してみろ」と説明を求められ、最終的には納得していただけましたが、何より自分自身がふがいなくてたまらなかった、あの悔しさは忘れられません。これからはどんなことも絶対できるようになろうと決意したのを覚えています。

土肥

私もどうしても無理だと断念したことが上司経由で耳に入り、怒って口を聞いてもらえなくなったことがあります(笑)。私は私で言いたいことは飲み込まずに口に出す方なので、よく喧嘩もしました(笑)。でも長く尾を引くことはなく、怒っても愛嬌のある人でしたね。

川崎

私は「自分を信じてがんばれ」とよく励ましていただいたことが思い出に残っています。困っている時、どうしていいかわからなくなった時、いろんなことを話してくださいました。

荒川

とにかく思い切ってやれ、やればできる、あきらめるなとハッパをかける人でしたね。決して失敗への叱責はしない。ただ、自分自身もあきらめることなく進んできただけに、途中で断念することには厳しかったんでしょうね。社員には大きな愛情を持っていたと思います。たくさんの経験をしてほしい、特に成功体験を重ねていってほしいとよく言っていました。